医療機関情報

医院名 赤坂こころのクリニック「ケイローン」
院長 車田 裕通
(くるまだ ひろみち)
住所 〒107-0052
東京都港区赤坂3丁目15-8
藤貫ビル4F
診療科目精神科・心療内科
電話番号 03-5575-5575

専門カウンセリング

カウンセラー:酒井 謙(さかい けん)  

糖尿病・甲状腺・内分泌を専門とする内科医が行う
糖尿病・甲状腺・内分泌疾患を抱える方のためのカウンセリング

自己紹介文

  「あなたがあなたの先生に『病気』といわれているもの」を一緒に考えます。そして、「あなた」を支援します。

〜「『慢性疾患』といわれている『あなたの側面』を、再びあなたの元へ」を目指して〜


   こんにちは、酒井と申します。今回このクリニックで、ユニークな時間・空間をご用意・ご提供させて頂くことになりました。

 私は20数年間、「糖尿病」・「ホルモンの病気(甲状腺・脳下垂体・副腎などの内分泌疾患)」専門の内科医として仕事をしてきました。現在は、1000人余りの患者さんの糖尿病・内分泌疾患専門診療、大学での医学生・若手医師の教育・支援をしています。病院に通い続けなければいけない慢性疾患の多いこの分野の内科医として仕事に従事してきて、今尚考え続けている事があります。それは、「私は患者さんに、『患者さんに十分腑に落ちるかたち』で、ご病気をお渡ししてきただろうか?自分の診療時間が限られていることを理由に、一方的に病名を告げ、病気をその方に押し付けてきた側面は無かっただろうか?」ということです。

 慢性的な病気を拝見する多くの医師は、おそらく初診で20分位、再診で5分位の診療を行っていると思います。(私がそうです。)理由の一部は、そうしないと患者の皆さんを拝見できない処にあります。この時間の制約に伴い、患者さんが納得できなかったり、不安になる側面がある可能性を感じてきました。そこで今回、ゆっくり時間をかけて、「患者さんとコミュニケーションを持たせてもらう空間」を用意いたしました。私にとっても初めてのアプローチなので、ちょっと不安ですが、とってもワクワクしています。

 私がお手伝いできることは、「皆さんの病気が、私を通してどう映るか。」、「病気はどこにいるのか」、「皆さんの主治医の先生がどのように病気を評価し、どのような気持ちでなぜお薬を選んでいるか。」、「病気という皆さんの側面をどのように捉えるのがよろしくて、どのように関係をもたれることがよろしいのか。」…です。「…」の意味するところは、ご相談を拝聴して私ができることは支援させていただくというニュアンスです。

 今回用意させていただく空間は、いわゆる「セカンド・オピニオン」ではありません。「セカンド・オピニオン」は、「同じ情報を異なる医師が診て、どのような医学的見解をもつか。それが医学的客観性において妥当か否かの見解。」ということですが、今回の空間は、「今現在皆さんが病気に対して疎外感を覚えている部分や、不安を覚えている部分に、私が寄り添いサポートする。」というものです。喩えるなら、「言葉のわからぬ異国への旅行に同行するツアー・コンダクター」として私を利用していただくといった感じです。『私の得意な異国言葉が、「糖尿病」・「ホルモンの病気」』ですので、そちらの方面に旅行中の方にご利用頂ければと考えています。よろしければ一度お立ち寄り下さい。 

プロフィール

 1991年(平成3年)東北大学医学部医学科卒業

1992年(平成4年)東京女子医科大学内分泌内科(内科2)入局

1995年(平成7年)上司の教授就任に伴い、弘前大学医学部第三内科へ移籍

2000年(平成12年)順天堂大学医学部内科学教室・代謝内分泌学講座へ移籍

2005年(平成17年)順天堂大学医学部内科学教室・代謝内分泌学講座講師

2007年(平成19年)順天堂大学医学部内科学教室・代謝内分泌学准教授

2011年(平成23年)〜現在 順天堂大学大学院医学研究科 代謝内分泌内科学 非常勤講師

2014年(平成26年)〜現在 東邦大学医療センター 糖尿病・代謝・内分泌センター 非常勤講師 併任 

カウンセラー:山口 雄介(やまぐち ゆうすけ)  

先天的/後天的障害を手足及び体幹に持たれた方と
そのご家族、あるいはその方々をケアする立場の方々のためのカウンセリング

自己紹介文

※私自身、両足に先天的な障害(先天性脛骨欠損による両下肢機能障害)があります。補装具を使用しています。

オリエンテーション

「障害」は心にも、体にも関連する複雑なテーマです。そのため、一つの学派に属する単一の考え方だけでは、捉えきれない面が多々あります。そこで、私はカウンセリングへお越しになられた方に対して出来る限り、トータルにホリスティックな立場からアプローチすることをこころがけております。

職歴

(1)教育領域

公立の教育センター/公立学校スクールカウンセラー大学の学生相談
課題や悩みを抱える子どもさん、学生さんそのご家族のご相談を担当。また、学校の先生方をはじめ子どもさんを支える専門職の方々と共同して事にあたる姿勢を大事にしています。

(2)保健所

精神障害の方々のデイケア(グループワーク)を担当。 

カウンセリングのタイトル

『肢体不自由』専門外来

カウンセリングの対象とその内容

先天的/後天的障害を手足及び体幹に持たれた方とそのご家族、あるいはその方々をケアする立場の方々のご相談をお受け致します。

※  建物の入り口に数段の段差があります。ビル内にはエレベーターがあり、そちらをご利用頂けます。移動に不便を感じられる方は、事前にご連絡下さい。そのことについても、共に工夫をしたいと思います。 

①ご本人へ ―障害に関する悩み/思い全般が対象です。

自分の障害とどう付き合っていくか/向き合うのか/悩みに対するカウンセリングとしてだけでなく、障害についてただ語る場としてもご活用いただけます。障害について、こんなことをいっていいのだろうかという気づかいは無用です。

「障害を抱えているのはあなたの体です。体と心は分けて考える必要があります。」といった趣旨の言葉を耳にすることはありませんか。皆さんはその言葉がけについてどうお感じになりますか。私は、そうだろうと理屈では理解しています。しかし、それを自身のライフスタイルの隅々までいきわたらせるのは決して容易でないと思います。ここではそうした障害を巡るテーマが、それこそあなたの人生の障害となっていることをご相談下さい。

体に障害があることは、体の機能だけではなく、心が適正に機能することに対しても、障害として働きます。しかし、これは仕分けることができます。ただ、つらいです。そのテーマと向き合うくらいなら、私は、障害者だからと、その痛みに向き合わず、無かったとこにしてしまう方がはるかに楽です。また、余程のことがない限り、周囲にも障害はごく真っ当で鉄壁の言い訳として機能してくれます。

それでも、自分の本音を大事にしてみませんか。障害があるために自分のやりたいこと、してみたいことをあきらめていませんか。確かに、体の障害のために物理的に出来ないこともたくさんあるのは事実です。しかし、それを言い訳にして、本当は出来ること、形を変えればトライできること、そのものは叶わなくても、代用がきくはずのものをあきらめてはいませんか。それは、体の障害ではありません。心の障害です。それは私たち(障害を持って生きる者)にとって、本当に恐ろしい存在です。あまりに恐ろしすぎて、存在すら認めたくありません。ですから、それに一人で立ち向かうのは難しいかもしれません。でも、あなたのこれをやりたいという気持ちと周囲のお手伝いがあれば必ず向き合っていくことができます。私もお手伝いします。

その他、ドクターの診察/リハビリの際/義肢や補装具を修理・交換の時、あるいはその他の場面で、自分の障害に対する思いをうまく伝えられない、分かってもらえない、わかってもらうことへの遠慮がある、どうしても伝わらないので諦めてしまったといったことはありませんか。そうした思いについて、ここでもう一度考えてみるのはいかがでしょうか。

[私の体験から]

私には、十代の思春期、真っ只中の頃、街中を歩くのがとてもつらい時期がありました。道行く人が皆、私の足をみているのではないか、そんな気がして、しかたがありませんでした。本当はそんなことないと頭では理解できても、どうしても心がついてこない、そんな時期がありました。

皆さんはいかがでしょうか。程度の差こそあれ、このエピソードはどこかで、皆さんの心にも響くところがあるのではないでしょうか。障害を持つ私たちはこのように、日々障害と共に生きています。私たちの生活の中にするりと入りこんできた障害に関する悩み、どうぞご相談下さい。ご家族、友達、主治医の先生、自分の大切な人にすら言いづらい事、大歓迎です。 

②障害を持つ方のご家族へ

     -ご本人への関わりで生じる思い/疑問/戸惑い/ご家族・ご本人と関連機関との関係作りなど―

気にはなるが、ご本人へ直接言えない/聞けないことなど/人生の節目と障害を巡るテーマ(就学・就労・結婚・治療の大きな転換点など)についての悩みなどご相談下さい。

自分の大事な子どもさん、ご家族に障害がある。日々何とかして、助けになりたいと思うものの、ご本人にどのように接すべきか悩まれることはありませんか。あるいは、自分には障害がないがゆえに、当人の思いに心を沿わせきれない、理解しきれないと感じることはありませんか。

例えば、「しつけをしなければ」とは思いつつも、障害に関わるテーマに関して、どうしても言えない/言いよどむことがある。そうしたことはありませんか。たとえ、本人が気にしていることでも、親御さん/ご家族が言いづらいことでも、言うべきことは言わなくてはいけません。どうか、障害があろうとも、大事な人との関係性を障害に妨げられないで下さい。たとえ、血のつながった親子、家族であっても我々は一人ひとり別個の人間で、異なる考え/感じ方をもっています。そのため、伝えづらいこと、分かり合うのに手間のかかる事態は、障害の有無に関係なく起こることです。しかし、障害があると、それに+αの特有の難しさが加わります。ここでは、そうした障害という壁を乗り越えて、よりよい関係作りを広く応援させていただきます。

また、ご家族(ご本人)と医療、福祉、義肢/装具など、その他支援者/機関との関係作りに関するお悩みも   広く応援させていただきます。特に、就学/進学にあたって、通常学校(級)・特別支援学校(学級)のどちらにするかの進路選択の問題、医療サービスを受けるにあたっての方針に関する大きな決断(手術のタイミング/四肢の切断・車椅子/義肢・装具の使用開始のタイミング/リハビリなど必要な支援を本人が嫌がるなど)に伴う心情などもご相談下さい。

<私の体験から>

私は、幼い頃に何度か、足の手術をうけました。それが必要なことは重々わかりますが、私にとって、それは本当に辛く、とにかく耐えがたい体験でした。私は、ひたすら泣き、「手術は嫌だ!」と叫びました。そんな体験は、本人はもちろんのこと、ご家族にとってもとてもきつい体験でしょう。しかし、そんな時どうか、目を背けないで、出来る限り、ご本人と一緒にいてほしいと切に思います。それがご家族にとってどんなに辛いことかは重々お察しします。しかし、その上でのお願いです。ですから、サポートが必要とお感じの際は、どうぞ、こちらのカウンセリングをご活用下さい。私はご本人、ご家族両方の立場を大事にしながら、応援させていただきます。 

③障害を持った方と関わる専門職(医師/看護師/保健師/理学療法士/作業療法士/義肢装具士/社会福祉士/精神保健福祉士/教師/保育士/心理士/コーチ 他)の方々へ 

―障害に関わるテーマについて、こんな時、どうしようと戸惑うこと/悩んでいることなど/気にはなるが、ご本人にはきけないことなど―

それぞれの専門領域の知識/技術を超えたところで、ご自身の専門性が発揮しきれないとお悩みになることはありませんか。お一人で抱えこまず、どうぞご相談下さい。

専門職の皆さんがご自身の専門性を発揮する時、それが望ましいものであっても、対象になる方の心にそう映るとは限りません。どんなに効き目のある注射でも、注射嫌いの子どもにとっては、ただの痛い注射に変わりありません。痛いことは誰だって嫌がります。しかし、そのため必要なサービスが提供出来ずに、専門家側が困ってしまう。障害をテーマとしたことに関わる場合、このような場面は少なくないように思います。そんな中、お一人で立往生してしまうことはありませんか。ここでは、そうしたお悩みを遠慮なく言葉にされて下さい。一障害者として、自分の体験も踏まえた上で、一緒に悩みます。

私は自分の足だけでは歩くことができないので、補装具(頑丈なギブス/義足のようなもの)をつけています。それが、私に歩く自由とスポーツを楽しむことを可能にしてくれました。しかし、私の足は生まれ持った奇形(個性的な形)とそれに数回の手術で整形されているため、とても補装具を合わせるのが難しい形をしています。そこで、新しい補装具はもちろんのこと、日々使い込んだ分に合わせて調整する際、足に中々しっくりこないことがままあります。そんな時私も、ここが、どうと自分の状況を的確に言い表せられればいいのですが、そこがまた自分の足でありながら、異物としての補装具の感覚を言葉にするのは非常に困難です。過去幾人かの方が、私(私の足)の横で頭を抱える姿を目にしました。しかし、私は自身の体験から、これは義肢装具を作る方の技術の問題のみからくるのではないように思っています。 ―義肢装具士の方々の名誉のためにも協調してお伝えしたいのですが―ここには、『足と補装具(義肢)』という物の次元だけではなく、異物としての義肢装具を受け入れるという心の問題/課題(心の次元での出来事)が大きく関与しています。どんなに素晴らしい補装具/義肢であっても、生身の肉体には、絶対勝てません。私は今でこそ、自分の足といい関係にあります。自分の足に対して、これが「私の足」ということに納得しています。がしかし、もし健康な足に変われることができるとしたら、「どうか一本でもいいので…」と言ってしまうでしょう。やはりそれが、本音です。そこへ、代替物をあてがうのです。物の次元ではこのあたりが、痛い/高い/低い/固い/安定しない…と言葉を尽くすことはできても、心でそううまくいかないことがあります。「この補装具は○○」と語る奥底では、意思の力で整理して語る言葉とは別な顔をして、永遠に生えてこない生身の足を求めているのです。時に心は、とても非合理的です。

このあたりの微妙な感覚は、非常に伝わりにくく、理解され難いことかもしれません。要は、どれだけ物の次元で専門的技術を発揮されても、人には心という別個の次元があり、両方がみたされないとうまく行かないことがあるということです。しかし、「心の次元」は当の本人にとっても非常に曖昧でつかみづらく、気づきにくいものです。そのため、「物の次元」での理解が独り歩きしがちになります。そして、患者である私はそれを「(表現の言葉が見つけられず)痛いです。」といい、誠意ある義肢装具士の方は私の横で頭を抱えたのです。

ですから、ご自身の仕事を全うしてなお、あまりある出来事には、障害を巡る心のテーマが誰にも知られず、密かに動いている可能性があります。また、このようなことは「義肢/補装具」と「体」の関係だけでなく、多様な関係の中でも起こりえることです。どうぞ、お一人で頭を抱えずに、ご相談下さい。もちろん、ここがこうだから、困る。といった明確なことでなくても結構です。そんな形になりきらない思いについても、どうぞお持ちより下さい。形づくりの段階から応援させていただきたいと思います。 

私の体験から

子どもの頃、本当に『手術』が嫌でした。とにかくよく泣きました。いざ、手術室へ向かうという時がきても、駄々をこね続けました。すると、主治医の先生が手術着のままやってきて、私を抱っこして、手術室に向かいました。(連れていかれました!)聞けば、先生はすべての準備を終えて、待っていたのだそうです。誰かが、手術の手続き上、消毒などがとても大変なのだと言っていました。当時のわたしには、そんなことは気にとめる余裕などありませんでした。それでも、私を抱っこする先生の何とも物悲しそうで、少し困ったような顔だけは、よく覚えています。

もし、皆さんが私の主治医だったら、どうされたでしょうか。 

プロフィール

1979年 東京生まれ

2003年 東京国際大学 人間社会学部 福祉心理学科 卒業

2005年 大正大学大学院 人間学研究科 臨床心理学専攻 修士修了

2006年 臨床心理士 資格取得